暢《りゅうちょう》で羨《うらや》ましいくらい旨《うま》く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸《つ》けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執《と》って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦《すく》めるようにして拒《こば》みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱《だ》きました。女の跳《は》ねて水を蹴《け》る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇《ボート》を漕《こ》ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極《きわ》めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖《こわ》いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚《びっくり》して見せる科《しな》が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋《つな》いである和船に向って、船頭はん、その船|空《あ》いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走《ごちそう》を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒《ビール》だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心《かんじん》の御客はよほど威勢のいい男で、遥《はる》か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸《くろはだか》の浦の子僧を一人|生捕《いけど》っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根《こん》かぎりの大きな声で、阿呆《あほう》と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕《こ》ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇《ものずき》だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠《
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