金米糖《こんぺいとう》のような調子を得意になって出します。そうして聴手《ききて》の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日《きのう》京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面《みのお》という紅葉《もみじ》の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川《たにがわ》があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部《クラブ》とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入《はい》って見ると、幅の広い長い土間が、竪《たて》に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦《しきがわら》で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵《こしら》えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦《かわら》を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足《だそく》に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆《おばあ》さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子《いす》に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入《はい》るや否《いな》や、友人の顔を見て挨拶《あいさつ》をしました。そうして『おや御免《ごめん》やす。今八十六の御婆さんの頭を剃《そ》っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫《な》でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧《かえり》みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気《のんびり》した心持がしました。僕はこういう心持を御土産《おみやげ》に東京へ持って帰りたいと思います」
僕も市蔵がこういう心持
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