青年として大いなる不面目だと感じた。

        十一

 正直な彼は主人の疳違《かんちがい》を腹の中で怒《おこ》った。けれども怒る前にまず冷たい青大将《あおだいしょう》でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入《たばこいれ》から刻《きざ》みを撮《つま》み出しては雁首《がんくび》へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎《けいたろう》に与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管《きせる》を扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺《なが》めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治《たいじ》てやりたいような気がし出した。
「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒《と》といっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗《うしろぐら》い関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃《しつこ》く疑っているのは怪《け》しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡《りょうけん》がある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料《しゅくりょう》を滞《とどこ》おらした事があるかい」
 主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭|抱《いだ》いていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰《もら》いたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障《さわ》ったら、いくらでも詫《あや》まるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入《たばこいれ》を早く腰に差させようと思って、単に宜《よろ》しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯《かくおび》の後へしまい込んだ。室《へや》を出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色《けしき》も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。
 それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新ら
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