れが市蔵の僕と根本的に違うところである。

        三

 市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固《もと》より田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固《がんこ》なものであった。僕は女に理窟《りくつ》を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背《そむ》くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑《ふ》に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏《おだ》やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚《はば》からない婦人に共通な特性を一人前以上に具《そな》えていた。僕は彼女の執拗《しつよう》を悪《にく》むよりは、その根気の好過《よす》ぎるところにかえって妙な憐《あわ》れみを催《もよお》した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請《こい》を快よく引受けた。
 僕がこの目的を果《はた》すために市蔵とこの座敷で会見を遂《と》げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐《ちんぷ》なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説《くど》かれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉《く》れろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。
 僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏《まと》いつくに違ないと勘定《かんてい》して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻《ひるが》えさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段
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