《いなずま》に打たれたような思いをする。当りの強く烈《はげ》しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊《かた》まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺《とげ》だの毒だの腐蝕剤《ふしょくざい》だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈《はげ》しく怒《おこ》られても、僕は彼女から清いもので自分の腸《はらわた》を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高《けだか》いものに出会ったという感じさえ稀《まれ》には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。

        十二

 これほど好《よ》く思っている千代子を妻《さい》としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時|理由《わけ》も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強《し》いて沈黙のなかに記憶を埋《うず》める必要もないから、それを自分だけの感想に止《とど》めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪《た》えられないだろう。その光は必ずしも怒《いかり》を示すとは限らない。情《なさけ》の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰《かっこう》の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦《いすく》められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸《げこ》として、今日《こんにち》まで世間から教育されて来たのである。
 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければなら
前へ 次へ
全231ページ中159ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング