はいかい》しているうち、どういう機会《はずみ》か自分の手巾《ハンケチ》を足の下《もと》へ落した。混雑の際と見えて、彼は固《もと》より、傍《はた》のものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床《ゆか》の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌《あいきょう》が必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉《ストーヴ》の傍《そば》まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩《も》らした。
僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有《も》った以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉《まゆ》を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
口の悪い松本の叔父はこの姉妹《きょうだい》に渾名《あだな》をつけて常に大蝦蟆《おおがま》と小蝦蟆《ちいがま》と呼んでいる。二人の口が唇《くちびる》の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口《がまぐち》だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇《ちいがま》はおとなしくって好いが、大蟇《おおがま》は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑《うたがい》を挟《さしは》さみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵《かく》しているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有《も》っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻
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