母は僕の高等学校に這入《はい》った時分それとなく千代子の事を仄《ほの》めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻《さい》という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩《けんか》をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟《しげき》を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠《しょうこ》には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒《おこ》ろうが泣こうが、科《しな》をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄《いとこ》に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象《きしょう》を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女《なんにょ》の牆壁《しょうへき》が取り除《の》けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜《よ》かろうと思う。
母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家《はにかみや》と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐《ふところ》に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥《はにか》んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力《つと》めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂《にお》わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱《だ》いたまま一人で温《あたた》めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂《うわさ》のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人《おとな》らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧《ていねい》に吟味《ぎんみ》する余裕《よゆう
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