てんまつ》を、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷衍《ふえん》して、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議な謎《なぞ》の活《い》きて働らく洋杖《ステッキ》を、どう抱《かか》え出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄《てがら》のなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うや否《いな》や四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不味《まず》いところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡泊《あっさ》り話して見ると、宅《うち》を出る時自分が心配していた通り、少しも捕《つら》まえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。

        四

 それでも田口は別段|厭《いや》な顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云う繋《つな》ぎの言葉を、時々|敬太郎《けいたろう》のために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です」と言訳をつけ加えた。
「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」
 田口のこの挨拶《あいさつ》の中《うち》に、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛嬌《あいきょう》が充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥を掻《か》かずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂味《たるみ》のできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。
「いったいあの人は何なんですか」
「さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました」
 敬太郎の前には黒の中折《なかおれ》を被《かぶ》って、襟開《えりあき》の広い霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着[#「着」は底本では「来」]た男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣《ことばづか》いといい歩きつきといい、何から何まで判切《はっきり》見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。
「どうも分
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