彼岸過迄
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)身体《からだ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い間|抑《おさ》えられたものが
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+蝶のつくり」、第3水準1−87−56]
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彼岸過迄に就て
事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体《からだ》をぶっ通《とお》しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好《い》い機会《しお》に、なお二箇月の暇を貪《むさぼ》ることにとりきめて貰ったのが原《もと》で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執《と》らず、十一十二もつい紙上へは杳《よう》たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩《くず》れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口《いとぐち》を開くように事がきまった時は、長い間|抑《おさ》えられたものが伸びる時の楽《たのしみ》よりは、背中に背負《しょわ》された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉《うれ》しかった。けれども長い間|抛《ほう》り出しておいたこの義務を、どうしたら例《いつも》よりも手際《てぎわ》よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。
久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充《み》ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬《むく》いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨《うま》いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物《さくぶつ》のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳《い》いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であ
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