臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆《さから》って、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。
「最後に小生は目下|我邦《わがくに》における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒《かんが》みて、現今の博士制度の功《こう》少くして弊《へい》多き事を信ずる一人なる事を茲《ここ》に言明致します。
「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手|許《もと》まで御返付致します。敬具」
 要するに文部大臣は授与を取り消さぬといい、余は辞退を取り消さぬというだけである。世間が余の辞退を認むるか、または文部大臣の授与を認むるかは、世間の常識と、世間が学位令に向って施《ほどこ》す解釈に依って極《き》まるのである。ただし余は文部省の如何《いかん》と、世間の如何とにかかわらず、余自身を余の思い通《どおり》に認むるの自由を有している。
 余が進んで文部省に取消を求めざる限り、また文部省が余に意志の屈従《くつじゅう》を強《し》いざる限りは、この問題はこれより以上に纏《まと》まるはずがない。従って落ち付かざる所に落ち着いて、歳月をこのままに流れて行くかも知れない。解決の出来ぬように解釈された一種の事件として統一家、徹底家の心を悩ます例となるかも分らない。
 博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉《ことごと》く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与《ふよ》したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握《しょうあく》し尽すに至ると共に、選に洩《も》れたる他は全く一般から閑却《かんきゃく》されるの結果として、厭《いと》うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西《フランス》にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。
 従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾《てっとうてつび》主義の問題である。この事件の成行《なりゆき》を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。
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