いう長詩も慥《たし》か聞かされたように思う。けれどもそのうちの或行《あるぎょう》にアラス、アラック、という感投詞が二つ続いていたと記憶するだけで、あとはまるで忘れてしまった。
ベインの『論理学』を読めといって先生が貸してくれた事もあった。余はそれを通読するつもりで宅《うち》へ持って帰ったが、何分《なにぶん》課業その他が忙がしいので段々延び延びになって、何時《いつ》まで立っても目的を果し得なかった。ほど経て先生が、久しい前《ぜん》君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまったなら返してくれといわれた。その本は大分|丹念《たんねん》に使用したものと見えて裏表《うらおもて》とも表紙が千切《ちぎ》れていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲学の方の素養もあるのかと考えて、小供心《こどもごころ》に羨《うらや》ましかった。
あるときどんな英語の本を読んだら宜《よ》かろうという余の問に応じて、先生は早速《さっそく》手近にある紙片に、十種ほどの書目《しょもく》を認《したた》めて余に与えられた。余は時を移さずその内の或物を読んだ。即座に手に入らなかったものは、機会を求めて得る度《たび》にこれを読んだ。どうしても眼に触れなかったものは、倫敦《ロンドン》へ行ったとき買って読んだ。先生の書いてくれた紙片が、余の袂《たもと》に落ちてから、約十年の後に余は始めて先生の挙げた凡《すべ》てを読む事が出来たのである。先生はあの紙片にそれほどの重きを置いていなかったのだろう。凡てを読んでからまた十年も経った今日から見れば、それほど先生の紙片に重きを置いた余の方でも可笑《おか》しい気がする。
外国から帰った当時、先生の消息を人伝《ひとづて》に聞いて、先生は今鹿児島の高等学校に相変らず英語を教えているという事が分った。鹿児島から人が出てくる度に余はマードックさんはどうしたと尋ねない事はなかった。けれども音信はその後二人の間に全く絶えていたのである。ただ余が先生について得た最後の報知は、先生がとうとう学校をやめてしまって、市外の高台《たかだい》に居《きょ》を卜《ぼく》しつつ、果樹の栽培《さいばい》に余念《よねん》がないらしいという事であった。先生は「日本における英国の隠者《いんじゃ》」というような高尚《こうしょう》な生活を送っているらしく思われた。博士問題に
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