》なく遣《や》られた。それがため同級生は悉《ことごと》く辟易《へきえき》の体《てい》で、ただ烟《けむ》に捲《ま》かれるのを生徒の分《ぶん》と心得ていた。先生もそれで平気のように見えた。大方どうせこんな下らない事を教えているんだから、生徒なんかに分っても分らなくても構《かま》わないという気だったのだろう。けれども先生の性質が如何にも淡泊《たんぱく》で丁寧《ていねい》で、立派な英国風の紳士と極端なボヘミアニズムを合併《がっぺい》したような特殊の人格を具えているのに敬服して教授上の苦情をいうものは一人もなかった。
 先生の白襯衣《ホワイトシャート》を着た所は滅多《めった》に見る事が出来なかった。大抵は鼠《ねずみ》色のフラネルに風呂敷《ふろしき》の切れ端《はし》のような襟飾《ネクタイ》を結んで済《す》ましておられた。しかもその風呂敷に似た襟飾《ネクタイ》が時々|胴着《チョッキ》の胸から抜け出して風にひらひらするのを見受けた事があった。高等学校の教授が黒いガウンを着出したのはその頃からの事であるが、先生も当時は例の鼠色のフラネルの上へ繻子《しゅす》か何かのガウンを法衣《ころも》のように羽織《はおっ》ていられた。ガウンの袖口には黄色い平打《ひらうち》の紐《ひも》が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、または袖口を括《くく》る用意とも受取れた。ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興《きょう》に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆んどガウンも鼠の襯衣《シャツ》も忘れてしまう。果《はて》はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股《おおまた》で教壇を下りて余らの前へ髯《ひげ》だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空《あ》いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵《こし》らえて置いて、それでぴしゃりぴしゃりと机の上を敲《たた》いたものである。
 当時余はほんの小供《こども》であったから、先生の学殖《がくしょく》とか造詣《ぞうけい》とかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う言葉からが余自身の英語とは頗《すこぶ》る縁の遠いものであった。それでも余は他の同級生よりも比較的熱心な英語の研究者であったから、分らな
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