れは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)

       七 トライチケ(二)

 もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の引合《ひきあひ》に出るならば、自分は少なくとも是丈《〔これだけ〕》の事《こと》を頭《あたま》のうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下|独乙《〔ドイツ〕》に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。
 ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が新《あた》らしい意義を付けた丈である。疾《と》うから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の眼《め》で、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、此際《〔このさい〕》新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲《くも》のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩《ある》いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙《〔ドイツ〕》によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能《〔よ〕》く解《わか》らないから、仕方なしにさういふ言葉|遣《づか》ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼《〔ひ〕》我《が》国情の差違《さゐ》並《なら》びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。
 千
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