「そんな訳になるかね」
「なると思って喜こんでたが、雇人《やといにん》だって云うからしようがない」
「そりゃ当人が雇人だと主張するんだから仕方がないだろう」
「もし御者ですと云ったら、僕は彼奴《あいつ》に三十銭やるつもりだったのに馬鹿な奴《やつ》だ」
「何にも世話にならないのに、三十銭やる必要はない」
「だって君は一昨夜《いっさくや》、あの束髪《そくはつ》の下女に二十銭やったじゃないか」
「よく知ってるね。――あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」
「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「例《たと》えば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当り前だ」
「すると、同じようなわるい事を明日《あした》やる。それでも成功しない。すると、明後日《あさって》になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、
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