ハンケチはないか」
「ある。何にするんだい」
「落ちる時に蹴爪《けつま》ずいて生爪《なまづめ》を剥《は》がした」
「生爪を? 痛むかい」
「少し痛む」
「あるけるかい」
「あるけるとも。ハンケチがあるなら抛《な》げてくれたまえ」
「裂いてやろうか」
「なに、僕が裂くから丸めて抛げてくれたまえ。風で飛ぶと、いけないから、堅く丸めて落すんだよ」
「じくじく濡《ぬ》れてるから、大丈夫だ。飛ぶ気遣《きづかい》はない。いいか、抛げるぜ、そら」
「だいぶ暗くなって来たね。煙は相変らず出ているかい」
「うん。空中《そらじゅう》一面の煙だ」
「いやに鳴るじゃないか」
「さっきより、烈《はげ》しくなったようだ。――ハンケチは裂けるかい」
「うん、裂けたよ。繃帯《ほうたい》はもうでき上がった」
「大丈夫かい。血が出やしないか」
「足袋《たび》の上へ雨といっしょに煮染《にじ》んでる」
「痛そうだね」
「なあに、痛いたって。痛いのは生きてる証拠だ」
「僕は腹が痛くなった」
「濡《ぬ》れた草の上に腹をつけているからだ。もういいから、立ちたまえ」
「立つと君の顔が見えなくなる」
「困るな。君いっその事に、ここへ飛
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