。分ったろうね」
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情《なさけ》ない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶《あいさつ》をする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿《えびす》ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎《びん》に這入《はい》ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛《ひごなま》りの返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓《せん》を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」
 下女は心得貌《こころえがお》に起って行く。幅の狭い唐縮緬《とうちりめん》をちょきり結びに御臀《おしり》の上へ乗せて、絣《かすり》の筒袖《つつそで》をつんつるてんに着ている。髪だけは一種異様の束髪《そくはつ》に、だいぶ碌さんと圭さんの胆《たん》を寒からしめたようだ。
「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが云うと
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