溢《あふ》れ出る戯曲的動作を恐れた。今更この女の遣《や》る芝居を事新らしく観《み》せられるのは、彼に取って堪えがたい苦痛であった。なるべくなら彼は先方の弱点を未然に防ぎたかった。それは彼女のためでもあり、また自分のためでもあった。
 彼は彼女から今までの経歴をあらまし聞き取った。その間には人世《じんせい》と切り離す事の出来ない多少の不幸が相応に纏綿《てんめん》しているらしく見えた。
 島田と別れてから二度目に嫁《かた》づいた波多野と彼女との間にも子が生れなかったので、二人は或所から養女を貰《もら》って、それを育てる事にした。波多野が死んで何年目にか、あるいはまだ生きている時分にか、それは御常もいわなかったが、その貰い娘に養子が来たのである。
 養子の商売は酒屋であった。店は東京のうちでも随分繁華な所にあった。どの位な程度の活計《くらし》をしていたものか能《よ》く分らないが、困ったとか、窮したとかいう弱い言葉は御常の口を洩《も》れなかった。
 その内養子が戦争に出て死んだので、女だけでは店が持ち切れなくなった。親子はやむをえずそれを畳んで、郊外近くに住んでいる或|身縁《みより》を頼りに、ずっと辺鄙《へんぴ》な所へ引越した。其所《そこ》で娘に二度目の夫が出来るまでは、死んだ養子の遺族へ毎年《まいねん》下がる扶助料だけで活計《くらし》を立てて行った。……
 御常の物語りは健三の予期に反してむしろ平静であった。誇張した身ぶりだの、仰山な言葉遣だの、当込《あてこみ》の台詞《せりふ》だのは、それほど多く出て来なかった。それにもかかわらず彼は自分とこの御婆《おばあ》さんの間に、少しの気脈も通じていない事に気が付いた。
「ああそうですか、それはどうも」
 健三の挨拶《あいさつ》は簡単であった。普通の受答えとしても短過ぎるこの一句を彼女に与えたぎりで、彼は別段物足りなさを感じ得なかった。
「昔の因果が今でもやっぱり崇《たた》っているんだ」
 こう思った彼はさすがに好《い》い心持がしなかった。どっちかというと泣きたがらない質《たち》に生れながら、時々は何故《なぜ》本当に泣ける人や、泣ける場合が、自分の前に出て来てくれないのかと考えるのが彼の持前であった。
「己《おれ》の眼は何時でも涙が湧《わ》いて出るように出来ているのに」
 彼は丸まっちくなって座蒲団《ざぶとん》の上に坐《すわ》ってい
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