一文のをくれろと云えば十一文のをくれる。私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文|甲高《こうだか》の講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私の御手際《おてぎわ》はそれほど専門的に発達していない。素人《しろうと》が義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそう旨《うま》くはいきませぬ。足袋屋はさておいて食物屋《たべものや》の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家《うち》があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨《あいがも》よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。こんなに劇《はげ》しい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くば
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