掛らずにいる。ほよど辺鄙《へんぴ》な所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華《はんか》な所にいたって、そう始終《しじゅう》家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳の垢《あか》取り長官とか云う人がいますが、他《ひと》の耳垢《みみあか》を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗《きれい》に掃除したり恰好《かっこう》をよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹《とまつ》して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋《いも》の蔓《つる》みたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類が殖《ふ》えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙《あかがえる》」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな
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