す。なぜだというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口《ここう》の口がないか何か生活の手蔓《てづる》はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼《ちまなこ》にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通が利《き》くべきはずの秀才が懸命に馳《か》け廻っているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い。三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計《あにはか》らんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立て籠《こも》って、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然《ぼうぜん》としている男がある。もっとも下宿の方でも信用しているから貸しておくし、当人もどうかなるだろうと思って安心はしているらしいが国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。私も多少知っている間柄《あいだがら》だから気の毒に思って、職業は無いか職業は無いかぐらい人に尋ねて見るが、どこにもそう云う口が転がっていないので残念ながらまだそのままになっています。けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟《りくつ》から云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨《うま》く行かないといつまでも結婚が後れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得《りょうぜんえとく》できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。まあこれは空想です。実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。
 こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの間も往来を通ったら妙な商売がありました。それは家とか土蔵とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというように変化していやアしない。現に私の家などは建った時から今日まで市区改正に掛らずにいる。ほよど辺鄙《へんぴ》な所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華《はんか》な所にいたって、そう始終《しじゅう》家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳の垢《あか》取り長官とか云う人がいますが、他《ひと》の耳垢《みみあか》を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗《きれい》に掃除したり恰好《かっこう》をよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹《とまつ》して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋《いも》の蔓《つる》みたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類が殖《ふ》えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙《あかがえる》」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな
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