す。元来己を捨てるということは、道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕《あこぎ》な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に傾きやすいから困るのである。例えば新聞を拵《こしら》えてみても、あまり下品な事は書かない方がよいと思いながら、すでに商売であれば販売の形勢から考え営業の成立するくらいには俗衆の御機嫌《ごきげん》を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。
ただここにどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科学者哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでも見做《みな》すよりほかに仕方がないのです。哲学者とか科学者というものは直接世間の実生活に関係の遠い方面をのみ研究しているのだから、世の中に気に入ろうとしたって気に入れる訳でもなし、世の中でもこれらの人の態度いかんでその研究を買ったり買わなかったりする事も極めて少ないには違ないけれども、ああいう種類の人が物好きに実験室へ入って朝から晩まで仕事をしたり、または書斎に閉じ籠《こも》って深い考に沈んだりして万事を等閑に附している有様を見ると、世の中にあれほど己のためにしているものはないだろうと思わずにはいられないくらいです。それから芸術家もそうです。こうもしたらもっと評判が好くなるだろう、ああもしたらまだ活計向《くらしむき》の助けになるだろうと傍《はた》の者から見ればいろいろ忠告のしたいところもあるが、本人はけっしてそんな作略《さりゃく》はない、ただ自分の好な時に好なものを描いたり作ったりするだけである。もっとも当人がすでに人間であって相応に物質的|嗜欲《しよく》のあるのは無論だから多少世間と折合って歩調を改める事がないでもないが、まあ大体から云うと自我中心で、極《ご》く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいです。すでに御話をした通りおよそ職業として成立するためには何か人のためにする、すなわち世の嗜好《しこう》に投ずると一般の御機嫌《ごきげん》を取るところがなければならないのだが
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