所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それを極《ごく》むずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁《いんねん》であります。この関係を最も簡単にかつ明暸《めいりょう》に現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円|方《がた》人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁《ふちょう》になっています。拾五円方人に対する労力を費す、そうして拾五円現金で入ればすなわちその拾五円は己のためになる拾五円に過ぎない。同じ訳で人のためにも千円の働きができれば、己のために千円使うことができるのだから誠に結構なことで、諸君もなるべく精出《せいだ》して人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢《ぜいたく》のできる余裕を御作りになると変りはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。
もっとも自分のためになると云ってもためになり方はいろいろある。第一その中《うち》から税などを払わなければならない。税を出して人に月給をやったり、巡査を雇っておいたり、あるいは国務大臣を馬車に乗せてやったりする。もっとも一人じゃアこれだけの事はできませぬ、我々大勢で金を出してやるのですが、畢竟《ひっきょう》ずるにあの税などもやはり自分のために出すのです。国務大臣が馬車や自動車に乗って怪《け》しからんと言ったってそれは野暮の云う事です。我々が税を出して乗らしておいてやるので国務大臣のためじゃない、つまり己のためだと思えば間違はない。だから時々自動車ぐらい借りに行ってもよかろうと思う。税はそのくらいにしてこのほか己のためにするものは衣食住と他の贅沢費になります。それを合
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