が欺《あざむ》かれざるを難有《ありがた》く思ふのである。さうして其《その》文の拙《せつ》なれば拙なる丈|真《まこと》の反射として意を安んずるのである。
 其上《そのうへ》艇長の書いた事には嘘を吐《つ》く必要のない事実が多い。艇が何度の角度で沈んだ、ガソリンが室内に充ちた、チエインが切れた、電燈が消えた。此等《これら》の現象に自己広告は平時と雖《いへ》ども無益である。従つて彼は艇長としての報告を作らんがために、凡《すべ》ての苦悶を忍んだので、他《ひと》によく思はれるがために、徒《いたづ》らな言句《げんく》を連ねたのでないと云ふ結論に帰着する。又|其《その》報告が実際当局者の参考になつた効果から見ても、彼は自分のために書き残したのでなくて他《ひと》の為に苦痛に堪へたと云ふ証拠さへ立つ。
 広瀬中佐の詩に至つては毫《がう》も以上の条件を具《そな》へてゐない。已《やむ》を得ずして拙《せつ》な詩を作つたと云ふ痕跡はなくつて、已《やむ》を得るにも拘《かゝ》はらず俗な句を並べたといふ疑ひがある。艇長は自分が書かねばならぬ事を書き残した。又自分でなければ書けない事を書き残した。中佐の詩に至つては作らないでも済むのに作つたものである。作らないでも済む時に詩を作る唯一の弁護は、詩を職業とするからか、又は他人に真似《まね》の出来ない詩を作り得るからかの場合に限る。(其外《そのほか》徒然《とぜん》であつたり、気が向いたりして作る場合は無論あるだらうが)中佐は詩を残す必要のない軍人である。しかも其《その》詩は誰にでも作れる個性のないものである。のみならず彼《あ》の様な詩を作るものに限つて決して壮烈の挙動を敢《あへ》てし得ない、即ち単なる自己広告のために作る人が多さうに思はれるのである。其《その》内容が如何《いか》にも偉さうだからである。又偉がつてゐるからである。幸ひにして中佐はあの詩に歌つたと事実の上に於て矛盾しない最期《さいご》を遂げた。さうして銅像|迄《まで》建てられた。吾々は中佐の死を勇ましく思ふ。けれども同時にあの詩を俗悪で陳腐で生きた個人の面影《おもかげ》がないと思ふ。あんな詩によつて中佐を代表するのが気の毒だと思ふ。
 道義的情操に関する言辞(詩歌感想を含む)は其《その》言辞を実現し得たるとき始めて他《た》をして其《その》誠実を肯《うけが》はしむるのが常である。余に至つては、更《
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