ちに、漠然《ばくぜん》とわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君という名を聞くや否やおやと思った。もっともその驚き方を解剖して見るとみんな消極的である。第一あんなに背の高い人とは思わなかった。あんなに頑丈《がんじょう》な骨骼《こっかく》を持った人とは思わなかった。あんなに無粋《ぶいき》な肩幅《かたはば》のある人とは思わなかった。あんなに角張《かくば》った顎《あご》の所有者とは思わなかった。君の風※[#「蚌−虫」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》はどこからどこまで四角である。頭まで四角に感じられたから今考えるとおかしい。その当時「その面影《おもかげ》」は読んでいなかったけれども、あんな艶《つや》っぽい小説を書く人として自然が製作した人間とは、とても受取れなかった。魁偉《かいい》というと少し大袈裟《おおげさ》で悪いが、いずれかというと、それに近い方で、とうてい細い筆などを握って、机の前で呻吟《しんぎん》していそうもないから実は驚いたのである。しかしその上にも余を驚かしたのは君の音調である。白状すれば、もう少しは浮いてるだろうと思った。ところが非常な呂音《りょおん》で大変落ちついて、ゆったりした、少しも逼《せま》るところのない話し方をする。しかも余に紹介された時、君はただ一二語しか云わなかった。(もっとも余も同じ分量ぐらいしか挨拶に費やさなかったのは事実である。)その言葉は今全く忘れているが、普通にありふれた空虚な辞令でなかったのはたしかである。むしろ双方で無愛想に頭を下げたのだったろうが、自分の事は分らないから、相手の容子《ようす》だけに驚くのである。文学者だから御世辞《おせじ》を使うとすると、ほかの諸君にすまないけれども、実を云えば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極《たんかんしごく》に片づこうとは思わなかった。これらは皆予想外である。
この席上で余は長谷川君と話す機会を得なかった。ただ黙って君の話しを聞いていた。その時余の受けた感じは、品位のある紳士らしい男――文学者でもない、新聞社員でもない、また政客《せいきゃく》でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった。そうして、この品位は単に門地階級《もんちかいきゅう》から生ずる貴族的のものではない、半分は性情、半分は修養から来てい
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