せん。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間《ま》にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推《お》すと堺と云う所はけっして吝《けち》な所ではない、偉《えら》い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志《こころざし》を諒《りょう》として、終《しま》いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味《なかみ》と形式」という題にでも移りますかな。
第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいてい
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