ら、その内面生活と根本義において牴触《ていしょく》しない規則を抽象して標榜《ひょうぼう》しなくては長持がしない。いたずらに外部から観察して綺麗《きれい》に纏《まと》め上げた規則をさし突けてこれは学者の拵《こしら》えたものだから間違はないと思ってはかえって間違になるのです。
お前の云う通りにすると、大変おかしいことがある。例えて見れば芝居の型だ。また音楽の型とも云うべき譜である。または謡曲のごま節や何かのようなものである。これらにはすべて一定の型があって、その形式をまず手本にしてかえって形式の内容をかたちづくる声とか身ぶりとか云う方をこの型にあて嵌《はま》るように拵《こし》らえて行くではないか。そうしてその声なり身ぶりなりが自然と安らかに毫《ごう》も不満を感ぜずに示された型通り旨《うま》く合うように練習の結果としてできるではないか。あるいは旧派の芝居を見ても、能の仕草を見ても、ここで足をこのくらい前へ出すとか、また手をこのくらい上へ挙《あ》げると一々型の通りにして、しかも自分の活力をそこに打込んで少しも困らないではないか。型を手本に与えておいてその中に精神を打ち込んで働けない法はない。
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