も知れないが、原則から云えば楽に自由な骨休めをしたいと願いまたできるだけその呑気主義を実行するのが一般の習慣であります。すると彼らには明かに背馳《はいち》した両面の生活がある事になる。業務についた自分と業務を離れた自分とはどう見たって矛盾である。しかしこの矛盾は生活の性質から出るやむをえざる矛盾だから、形式から云えばいかにも矛盾のようであるけれども、実際の内面生活から云えばかく二様になる方がかえって本来の調和であって、無理にそれを片づけようとするならばそれこそ真の矛盾に陥《おちい》る訳じゃなかろうかと思います。なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾《しよく》を満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。反対の例を挙《あ》げて今度は同じ事を逆に説明してみましょう。世間には芸術家という一種の職業がある。これはすこぶる気まぐれ商売で、共同的にはけっして仕事ができない性質のものであります。幾らやかましい小言《こごと》を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというはなはだわがままな自己本位の家業になっている。だから朝七時から十二時まで働かなければならないという秩序や組織や順序があったところで、それだけ手際《てぎわ》の良い仕事はできるものでない。すなわち自分の気の向いた時にやったものが一番気の乗った製作となって現われる。したがって芸術家に対しては今申した資本家教育者などの執務ぶりや授業ぶりはあてはまらない。がその個人的に出来上った芸術家でも、彼ら同業者の利益を団体として保護するためには、会なり倶楽部《クラブ》なり、組合なりを組織して、規則その他の束縛を受ける必要ができてくる。彼らの或者は今現にこれを実行しつつある。してみれば放縦不羈《ほうじゅうふき》を生命とする芸術家ですらも時と場合には組織立った会を起し、秩序ある行動を取り、統一のある機関を備えるのである。私はこれを生活の両面に伴う調和と名づけて、けっして矛盾の名を下したくない。矛盾には違なかろうがそれは単に形式上の矛盾であって内面の消息から云えばかえって生活の融合なのである。
ここに学者なるものがあって、突然声を大にして、それは明かに矛盾である、どっちか一方が善くって一方が悪いにきまっている、あるいは一方が一方より小さくて一方が大きいに違いないから、一纏《ひとまと》めにしてモッと大きなもので括《くく》らなければならないと云ったならば、この学者は統一好きな学者の精神はあるにもかかわらず、実際には疎《うと》い人と云わなければならない。現にオイケンと云う人の著述を数多くは読んでおりませんが、私の読んだ限りで云えば、こんな非難を加えることができるようにも思います。こう論じてくると何だか学者は無用の長物のようにも見えるでしょうが私はけっしてそんな過激の説を抱《いだ》いているものではありません。学者は無論有益のものであります。学者のやる統一、概括と云うものの御蔭《おかげ》で我々は日常どのくらい便宜《べんぎ》を得ているか分りません。前に挙《あ》げた進化論と云う三字の言葉だけでも大変重宝なものであります。しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何《なん》でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏《まと》め方《かた》をして得意になる事も少なくないのは争うべからざる事実であると私は断言したいのです。
冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸《かも》すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明《はっきり》した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏《まと》めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩|退《しりぞ》いて佇立《たたず》む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。幾ら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟《ひっきょう》ずるに自然は元の自然で自分も元の自分で、けっして自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い。学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分
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