た》ってあてはまるように、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性をもってする事であります。すでに時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性をもってすると云う以上は、作物の形式と題目とに因《よ》って分つよりほかに致し方がありません。まず形式からして作物を区別すると詩と散文とになります。これは誰でも知っている事で改めて云うほどの必要も認めません。詩と散文と区別したからと云って創作家の態度がちょっと髣髴《ほうふつ》しにくいのです。分けないよりましかも知れないが、分けたところで大した利益も出て来ないようです。次に問題からして作物の種類別をすると、まず出来事を書いたものを叙事詩(これは希臘《ギリシャ》の作を土台にして付けた名だから、我々は叙事文と云っても構いません)と名づけたり。自己の感情を咏《えい》じたものだから抒情詩(これも抒情文としてもよろしい)と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。あるいは静物を模写するんで叙景文と号するような分類法であります。この分類になると多少細かになりますから、詩と散文の区別より幾分か創作家の態度を窺《うかが》う事ができて、ずいぶん重宝ではありますが、これとても与えられた作物を与えられたなりに取り扱うだけで、その特性を概括するにとどまってしまいやすいから、それより以上に溯《さかのぼ》って、もう少し奥から、こう云う立場で、こう変化すると小説ができる、こう変化すると抒情詩ができるとまでは漕《こ》ぎつけていないのが多い。そこまで漕ぎつけない以上は、頭から、結果と見られべき作物を棄《す》てて源因と認めべき或物の方から説明して、溯る代りに、流を下ってくる方が善い訳になります。つまり角《つの》があるから牛で、鱗《うろこ》があるから魚だと云う代りに、発生学から出立して、どんな具合に牛ができ、どんな具合に魚ができるかを究《きわ》めた方が、何だか事件が落着したような心持が致します。
 私が創作家の態度と題して、歴史の発展に論拠を置かず、また通俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の区別を眼中に置かないで、単に心理現象から説明に取りかかろうと思うのはこれがためであります。
 それで創作家の態度と云うと、前申した通り創作家がいかなる立場から、どんな風に世の中を見るかと云う事に帰着します。だからこの態度を検するには二つのものの存在を仮定しなければなりません。一つは作家自身で、かりにこれを我《が》と名づけます。一つは作家の見る世界で、かりにこれを非我と名づけます。これは常識の許すところであるから、別に抗議の出よう訳がない。またこの際は常識以上に溯《さかのぼ》って研究する必要を認めませんから、これから出立するつもりでありますが、今申した我と云うものについて一言弁じて後の伏線を張っておきたいと思います。もっとも弁ずると申しても哲学者の云う“Transcendental I”だの、心理学者の論ずる Ego の感じだのというむずかしい事ではありません。ただ我と云うものは常に動いているもので(意識の流が)そうして続いているものだから、これを区別すると過去の我と現在の我とになる訳であります。もっともどこで過去が始まって、どこから現在になるんだと議論をし出すと際限がありません。古代の哲学者のように、空を飛んで行く矢へ指をさして今どこにいると人に示す事ができないから、必竟《ひっきょう》矢は動いていないんだなどという議論もやれないでもありません。そう、こだわって来ては際限がありませんが、十年前の自分と十年後の自分を比較して過去と現在に区別のできないものはありませんから、こう分けて差《さ》し支《つかえ》ないだろうと思います。そこで――現在の我が過去の我をふり返って見る事ができる。これは当然の事で記憶さえあれば誰でもできる。その時に、我が経験した内界の消息を他人の消息のごとくに観察する事ができる。事ができると云うのですから、必ずそうなると云うのでもなければ、またそう見なくてはならないと云うのでもありません。例《たと》えば私が今日ここで演説をする。その時の光景を家《うち》へ帰ってから寝ながら考えて見ると、私が演説をしたんじゃない、自分と同じ別人がしたように思う事もできる――できませんか。それじゃ、こういうなあどうでしょう。去年の暮に年が越されない苦しまぎれに、友人から金を借りた。借りる当時は痛切に借りたような気がしたが、今となってみると何だか自分が借りたような気がしない。――いけませんか。それじゃ私が小供の時に寝小便をした。それを今日考えてみると、その時の心持は幾分か記憶で思い出せるが、どうも髯《ひげ》をはやした今の自分がやったようには受取れない。これはあなた方も御同感だろうと思います。なお溯《さかのぼ》りますと――もうたくさんですか、しかしついでだから、もう一つ申しましょう。私はこの年になるが、いまだかつて生れたような心持がした事がない。しかし回顧して見るとたしかに某年某月の午《うま》の刻か、寅《とら》の時に、母の胎内から出産しているに違いない。違いないと申しながら、泣いた覚もなければ、浮世の臭《におい》もかいだ気がしません。親に聞くとたしかに泣いたと申します。が私から云わせると、冗談《じょうだん》云っちゃいけません。おおかたそりゃ人違いでしょうと云いたくなります。そこで我々内界の経験は、現在を去れば去るほど、あたかも他人の内界の経験であるかのごとき態度で観察ができるように思われます。こう云う意味から云うと、前に申した我のうちにも、非我と同様の趣で取り扱われ得る部分が出て参ります。すなわち過去の我は非我と同価値だから、非我の方へ分類しても差し支ないと云う結論になります。
 かように我と非我とを区別しておいて、それから我が非我に対する態度を検査してかかります。心理学者の説によりますと、我々の意識の内容を構成する一刻中の要素は雑然|尨大《ぼうだい》なものでありまして、そのうちの一点が注意に伴《つ》れて明暸《めいりょう》になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入《はい》る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃《そろ》っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据《すわ》らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然《ばくぜん》たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹《ひ》くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装《いしょう》を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前《ぜん》申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の場合でありますが、時間の経過上についても同様の事が申されます。しかしこれを説明するとくどくなりますから略します。また想像で心に思い浮べる事物もほぼ同様に見傚《みな》されるだろうと考えますから略します。それから前に申した例は単に分りやすいために視覚から受ける印象のみについて説明したものでありますから、実際は非常に区域の広いものと御承知を願います。
 まず我々の心を、幅のある長い河と見立ると、この幅全体が明らかなものではなくって、そのうちのある点のみが、顕著になって、そうしてこの顕著になった点が入れ代り立ち代り、長く流を沿うて下って行く訳であります。そうしてこの顕著な点を連《つら》ねたものが、我々の内部経験の主脳で、この経験の一部分が種々な形で作物にあらわれるのであるから、この焦点の取り具合と続き具合で、創作家の態度もきまる訳になります。一尺幅を一尺幅だけに取らないで、そのうちの一点のみに重きを置くとすると勢い取捨と云う事ができて参ります。そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き[#「向き」に傍点]案排《あんばい》もしくは向け[#「向け」に傍点]具合がすなわち態度であると申しても差支《さしつかえ》なかろうと思います。(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年|倫敦《ロンドン》におった時、この間|亡《な》くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子《しゃくし》を拾って来る。もっとも日本の飯杓子《めしじゃくし》のような大きなものではありません。小供の玩具《おもちゃ》にするブリッキ製の匙《さじ》であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀《ていねい》に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠《すく》なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳《くわ》しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立《こんりゅう》されたかのごとく思われます。
 こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極《きわ》めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。
 まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜《べんぎ》のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜《よろ》しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点《がてん》が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。
 時々|酒問屋《さかどんや》の前などを御通りになると、目暗縞《めくらじま》の着物で唐桟《とうざん》の前垂《まえだれ》を三角に、小倉《こくら》の帯へ挟《はさ》んだ番頭さんが、菰被《こもかぶ》りの飲口《のみぐち》をゆるめて、樽《たる》の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口《ちょく》に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。
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