が悪いが骨を折らないで、旨《うま》い汁を吸うほど結構な事はない。この点において私は模傚に至極《しごく》賛成である。しかし人間の内部の歴史になると、またその内部の歴史が外面にあらわれた現象になると、そう簡単には行きませんようです。風俗でも習慣でも、情操でも、西洋の歴史にあらわれたものだけが風俗と習慣と情操であって、外に風俗も習慣も情操もないとは申されない。また西洋人が自己の歴史で幾多の変遷を経て今日に至った最後の到着点が必ずしも標準にはならない。(彼らには標準であろうが)ことに文学に在《あ》ってはそうは参りません。多くの人は日本の文学を幼稚だと云います。情けない事に私もそう思っています。しかしながら、自国の文学が幼稚だと自白するのは、今日の西洋文学が標準だと云う意味とは違います。幼稚なる今日の日本文学が発達すれば必ず現代の露西亜《ロシア》文学にならねばならぬものだとは断言できないと信じます。または必ずユーゴーからバルザック、バルザックからゾラと云う順序を経て今日の仏蘭西《フランス》文学と一様な性質のものに発展しなければならないと云う理由も認められないのであります。幼稚な文学が発達するのは
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