ても同じ事だと私は思ってるのであります。だから art for art 派でも、そうでなくっても差支《さしつかえ》ない。要するに述作の目的は以上のように区別ができると云うのであります。
述作の二態度とその目的とするところは今申した通でありますが、ただ御注意までに一言しておきたいのは、こんな事であります。こう分けるとちょっと、一方に属するものは、他方に属してはならん。どっちか片づけて旗幟《きし》を鮮明にしなければ済まないように見えるかも知れませんが、そう見えてはかえって迷惑なので、すでに誤解を防ぐためカロリーネの例や馬琴の例をひいて、機会のあるたびに二三度弁じておきましたが、改めて御断わりを致しておきたいのは、真を写すものは純粋なる真のみを写してはいません。またおられんのであります。またいかに情緒に訴える人でも全く真を離れての叙述は――少なくとも長い叙述は――できないのであります。ズーデルマンのマグダと云う脚本をつい近頃になって読みましたが、これはマグダという女が、父の意に悖《もと》って、押しつけられた御聟《おむこ》さんを嫌《きら》って、家を出奔《しゅっぽん》した話であります。さて家を
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