で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。少々気が触れてるんじゃないかしらといささか警戒を加えたくなります。してみると、我々の文句長く云えば叙述はやっぱり前に説明した六通りの中間を左へ出たり右へ出たりして好い加減に都合の好いところで用を足しているに違ない。創作家もやっぱりその通りであります。論より証拠《しょうこ》自然派でも浪漫派でも構わないから、一冊の本を取って来て、一句ごとに五六頁順々に調べて見ると分ります。浪漫的な句はたくさん出て来ます。浪漫的な句が嫌な人だって、腹を立てちゃいけない、眼が廻っては怪しからん、是非腹の虫を殺してしまえとまで主張する人はないでしょう。浪漫派の書物もその通り、けっして、のべつ浪漫ずくめでは済まないのです。諸君は、あるいは、そりゃただ句の話じゃないか、一篇一章もその議論で行けるかいと御尋ねになるかも知れません。さよう一篇一章一巻となると私も少し困却致します。しかし降参する必要もないだろうと思います。と云うのは私の考では一句でも叙述、二句でも叙述、三句続いても叙述の気なので、しかもその叙述には前に説明したような種類以外の叙述すなわち回想とか批判と
前へ
次へ
全142ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング