ところも、始終《しじゅう》はありません。おやといううちに時鳥も筋違も消えてしまいます。消えてしまう以上はその時の気分になりたくってもちょっとなれないから、平安城を筋違にという瞬間の働きをさも永久の状態のごとく、保存に便にするように纏《まと》めておきます。さてかように纏った気分が(客観的に云うと形相)だんだん頭のなかへ溜《たま》って参ると仮定します。そうしてそれが入り乱れるとします。広くなり深くなると見ます。すると一種奇妙な気分になります。この気分を構成する一部一部は、非我の世界にこれに相応する形相を発見しもしくは想像する事ができますが、この全体の気分に応じたものを客観的に拈出《ねんしゅつ》しようとするととうてい駄目であります。花でも足りない。女でも面白くない。ああでもない、こうでもない、ともがくようになります。これを形容して、よく西洋人などの云う口調を借りて申しますと、無限の憧憬《しょうけい》(infinite longing)とかになるのでしょう。私は昔し大学におった頃この字を見て何の事だか分りませんでした。それでもありがたがってふり廻していました。今でも実は分りません。私は解釈だけ
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