と思います。もちろん形式はこの叙述に叶《かな》っていましてもいっこう主観の分子を含んでおらんのがありますがそれは御注意を致しておきます。例えば茶柱が来客を代表したり、嚏《くさめ》が人の噂《うわさ》を代表したりするようなものであります。これは偶然の約束から成立した象徴でありますから、ここに云う種類には属しない訳であります。もっとも器械的の象徴も馬鹿にならんもので、習慣の結果茶柱を見て来客の時のような心持になったり、嚏をして、人の噂を耳にするような気分が起る人がないとも限りません。そう云う人にはこんな象徴もやはり主観的価値のあるものであります。だから本人の気の持ちよう一つでは、仁参《にんじん》が御三どんの象徴になって瓢箪《ひょうたん》が文学士の象徴になっても、ことごとく信心がらの鰯《いわし》の頭と同じような利目《ききめ》があります。なお進むと、烏鳴《からすな》きが凶事の記号になったり、波の音が永劫《えいごう》をあらわす響と聞えたり、星の輝きが人間の運命を黙示する光りに見えたりします。こうなると漸々主観的価値が増してくるのみならず、解剖の結果全く得手勝手な象徴でないと云う事も証明ができます。
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