うせい》に応ずるような調子で出て行かなければ旨《うま》く行かない。人間の歴史はこう云う連鎖で結びつけられているのだから、けっして切り放して見てもその価値は分りません。仰山《ぎょうさん》に言うと一時間の意識はその人の生涯《しょうがい》の意識を包含していると云っても不条理ではありません。したがって人には現在が一番価値があるように思われる。一番意味があるごとく感ぜられる。現在がすべての標準として適当だと信じられる。だから明日《あした》になると何だ馬鹿馬鹿しい、どうして、あんな気になれたかと思う事がよくあります。昔《むか》し恋をした女を十年たって考えると、なぜまあ、あれほど逆上《のぼせ》られたものかなあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理の当然で、実に自然で、絶対に価値のある事としか思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果《いんが》に束縛されているのはもちろんであります。現代の仏蘭西《フランス》人が革命当時の事を考えたら無茶だと思うかも知れず。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件を想像しても、ああ熱中しないでもよかろうくらいには
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