すし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろうと思います。(ここに云う両主義は便宜のため私が拵《こしら》えたのだから、かの心理学の一派を代表する主意説とは切り離して見ていただきたい)
これでたいてい御分りになったろうと思いますが、なお念のために、もう少し複雑で時間の経過を含んでいる例を御話ししておきたいと考えます。かつて西洋の石版業の事を書いたものを見た事がありますが、その中に彼らの技巧は驚ろくべきものだとありました。なぜ驚ろくべきものかと申すと、彼らは原画を一目見るや否や、この色とこの色を、これだけの割合で、こう混ぜれば、この調子が出ると、すぐに呑《の》み込んでしまう。それからその通りにやる、はたしてその通りの調子が出る。まずこんな具合なんだそうです。ところが画工の方はどうかと云うと、まず腹の中で、ここへこんな調子を出して、面白味を付けようと思う。それから絵の具を交ぜる――もしイムプレショニストなら単純な色を並べて、すぐに画布へ塗り付ける。そうして思い通りの調子を出す。今この両人を比較して見ますと、ある手段に訴えて、目的(すなわち思い通りの色)に到着するのだ
前へ
次へ
全142ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング