が舌の先から飛び出して、酒の中へ潜《ひそ》んで落ち着く方角に働くのであります。晩酌の方はこれが反対の方向に働いております。非我のうちに酒と云うものがあって、その酒が、ある因縁《いんねん》で、外から飛び込んで来て、我を冒《お》かした、もしくは我が冒されたと承知するのであります。詰《つづ》めて云うと、一は我から非我へ移る態度で、一は非我から我へ移る態度であります。一は非我が主、我が賓《ひん》という態度で、一は我が主、非我が賓と云う態度とも云えます。番頭から云うと酒の味自身が酒の属性になるのだから、これを属性的の経験とも云えましょう。晩酌から云うと酒の味が自己の幸不幸(あまり大袈裟《おおげさ》なら快不快)になるんだから感受的とでも云えましょう。洋語で云うと affective と申したら妥当だろうと思います。あるいは番頭の、自己にあらざる酒に重きを置く点から云えば客観的態度とも名づけられましょうし、晩酌の、自己に受くる刺激を、密切な自己の一部分と見傚《みな》す点から云えば、主観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云って善《よ》かろうと思いま
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