おたな》で舐《な》めた酒と、長火鉢《ながひばち》の傍《わき》でぐびぐびやった酒とは、この番頭にとって同じ経験であります。もっとも焼酎《しょうちゅう》とベルモット、ビールと白酒《しろざけ》では同じ経験とも申されませんが、同種、同類、同価の酒を店で吐いて、家で飲んだとすれば、吐くと飲むとの相違があるだけで、舌の当りは同じ事だと見るのが順当だから、つまりこの男は同じ味覚の経験を繰り返した訳になります。ここまでは誰《だれ》が見ても同じ経験であります。それならどこまでも同じだろうかと云うと、違っています。店で試しに口へ当てて見るのは、この酒はどんな質《たち》で、どう口当りがして、売ればいくらくらいの相場で、舌触りがぴりりとして、後《あと》が淡泊《さっぱり》して、頭へぴんと答えて、灘《なだ》か、伊丹《いたみ》か、地酒《じざけ》か濁酒《どぶろく》かが分るため、言い換《かえ》れば酒の資格を鑑別するためであります。これが晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日《きょう》の酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研
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