ものと認めていたらしいのであります。だから芝居でも小説でも非常な孝行ものや貞節ものが、あたかも隣り近所に何人でもいるかのごとき様子であらわれて参るのみならず、見物や読者もまた実際にいくたりでも存在しているうちの代表者だと云わぬばかりの顔つきで、これに対していたのであります。いたのでありますと云うと私が元禄時代から生きていたように当りますが、どうもそうに違いないと思います。あんな芝居や書物を見る人は、真面目《まじめ》に熱心に我を忘れて釣り込まれていたに違ないんでしょう。それでなければ今日まで伝わる前にとくに湮滅《いんめつ》してしまうはずであります。そうすると、ある御嬢さんは朝顔になったり、ある細君は御園になったり、またある若旦那《わかだんな》は信乃や権八の気でいたんでしょう。そりゃ満足でしょう。自己の情操を満足させるという点から云ったら満足に違ない。自分ばかりじゃない、自分の子や女房や夫をこんなものだと考えていたら定めし満足に違いない。もっともあの時代に出てくる悪党はまた非常なものでとうてい想像ができないような悪党が出て来ますが、これは善人を引き立てるためなんだから、こちらには誰もなろう
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