これを在来のままで絶対評価をもって叙述すると時勢後れになります。せっかくの目的が達せられなくなります。昔は親のために身を苦海に沈めるのを孝と云ったかも知れない。今日の我々から見ても孝かも知れないが、よし娘が拒絶したって、事柄《ことがら》が事柄だから不孝とは思いますまい。それだけ孝の評価が下落したのであります。これを西洋人に云わせると、頭からてんで想像し得られないと云います。西洋へ行くと孝の評価がまた一段下がるのであります。こういう風に評価が変って行くのはつまるところ、前に云った社会状態の変化に基《もとづ》いた結果にほかならんのでありますから、この状態の変化を知りさえすれば、旧来の評価を墨守する必要がなくなります。これを知らねばこそ煩悶《はんもん》が起ったり矛盾が起ったりして苦しむのであります。こういう時に誰か眼の明きらかな人が、この状態の変化を知[#「知」に白丸傍点]らせる、――すなわち客観的に叙述すれば、読者ははあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]と思うので、大変な解脱《げだつ》になります。(こんな単純な場合では解脱にもなりますまいが、まあ例ですからそのつもりで御聞きを願います)そ
前へ 次へ
全142ページ中120ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング