ろうと思います。だから大千世界の事実は、すでにその事実たるの点においてことごとく真なのであります。この事実は真だから好きだ、この事実は偽だから嫌《きらい》だと、どうしても取捨はできない訳であります。真偽取捨の生ずる場合は、この客観の事相を写し取った作物そのものについてこそ云われべきものであります。詳《くわ》しく云えば、傍観者がこの作物を自然そのものと比較するとき、もしくは甲の作と乙の作とを自然を標準として対照する時に始めて真偽ができ、取捨ができ、好悪が生ずるのであります。だから客観的態度で叙述した詩文には偽があるかも知れません、またあるはずであります。けれども客観的態度で向う世界には、偽は始めから存在しておらん、少なくとも真だけだとしなければ、最初から真の価値を認めないのと同様の結果に陥《おちい》ります。だからいやしくも真を本位として筆をとる以上は好悪の念を挟《はさ》む余地がない事になります。したがって取捨はないと一般に帰着致します。たとえば隣りに醜くい女がいる。見ても厭《いや》になるとおっしゃる。それはどうでも御随意でありましょうが、いくら醜くっても何でも現にいるものはいるに相違あり
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