ng ですらこれを叙述する時には単に吁《ああ》とか嗟乎《ああ》では云いつくせないので、不足ながら客観的形相をかりてこれを髣髴《ほうふつ》させようとするのであります。それについてこんな話があります。これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。以太利《イタリー》のさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留《とうりゅう》しておりました時、妙齢の埃及《エジプト》の美人に見染《みそ》められまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁《いいなずけ》の娘があるので、いよいよ結婚の期が逼《せま》った頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳《ひ》いている上に忽然《こつぜん》とかの美人があらわれました。身体《からだ》も服装も透《す》き通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮《あざや》かであります。ただ常よりは非常に蒼白《あおしろ》いのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷《ふなばた》を見上げながら美くしい声で唄《うた》をうたいました。それが奇麗《きれい》に波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄《ものすご》い心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑《すべ》って、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入《はい》って行って、とうとう行き方知れずになったとありました。――話はこれでおしまいです。私はこの話を読むと何となく妙な気分になりました。その気分が妙になるところにこの話の価値はあるのですから、どの畠《はたけ》のものであるかは分っております。しかし真には乏しい。実事物語としてか
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