オた心裡《しんり》の状態は正《まさ》にこれである。
 余は明《あきら》かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚《こうこつ》と動いている。
 強《し》いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹《せんたん》に練り上げて、それを蓬莱《ほうらい》の霊液《れいえき》に溶《と》いて、桃源《とうげん》の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間《ま》に毛孔《けあな》から染《し》み込んで、心が知覚せぬうちに飽和《ほうわ》されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明《ふぶんみょう》であるから、毫《ごう》も刺激がない。刺激がないから、窈然《ようぜん》として名状しがたい楽《
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