ツずい》の清きを知る。霞《かすみ》を餐《さん》し、露を嚥《の》み、紫《し》を品《ひん》し、紅《こう》を評《ひょう》して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着《ちゃく》するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々《ぼうぼう》たる大地を極《きわ》めても見出《みいだ》し得ぬ。自在《じざい》に泥団《でいだん》を放下《ほうげ》して、破笠裏《はりつり》に無限《むげん》の青嵐《せいらん》を盛《も》る。いたずらにこの境遇を拈出《ねんしゅつ》するのは、敢《あえ》て市井《しせい》の銅臭児《どうしゅうじ》の鬼嚇《きかく》して、好んで高く標置《ひょうち》するがためではない。ただ這裏《しゃり》の福音《ふくいん》を述べて、縁ある衆生《しゅじょう》を麾《さしまね》くのみである。有体《ありてい》に云えば詩境と云い、画界と云うも皆|人々具足《にんにんぐそく》の道である。春秋《しゅんじゅう》に指を折り尽して、白頭《はくとう》に呻吟《しんぎん》するの徒《と》といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸《しゅうがい》に洩《も》れて、吾《われ
前へ 次へ
全217ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング