トくる。いやしくもこの鏡に対する間《あいだ》は一人でいろいろな化物《ばけもの》を兼勤《けんきん》しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥《は》げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極《きわ》めている。小人《しょうじん》から罵詈《ばり》されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒《つうよう》を感ぜぬが、その小人《しょうじん》の面前に起臥《きが》しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
 その上この親方がただの親方ではない。そとから覗《のぞ》いたときは、胡坐《あぐら》をかいて、長煙管《ながぎせる》で、おもちゃの日英同盟《にちえいどうめい》国旗の上へ、しきりに煙草《たばこ》を吹きつけて、さも退屈気《たいくつげ》に見えたが、這入《はい》って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。髭《ひげ》を剃《そ》る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦《ようしゃ》なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付《くぎづ》けにされているにしてもこれでは永く持た
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