ヲなかったのですが、何遍も聴《き》くうちに、とうとう何もかも諳誦《あんしょう》してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐《あわ》れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏《よ》みませんね。第一、淵川《ふちかわ》へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾《おとこめかけ》にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯《うぐいす》が、いつ勢《いきおい》を盛り返してか、時ならぬ高音《たかね》を不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆《さかし》まにして、ふくらむ咽喉《のど》の底を震《ふる》わして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様《さ
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