ェ》りはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外《そ》れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」
「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸《かか》ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺《へん》です」
居眠をしていた老人は、舷《こべり》から、肘《ひじ》を落して、ほいと眼をさます。
「まだ着かんかな」
胸膈《きょうかく》を前へ出して、右の肘《ひじ》を後《うし》ろへ張って、左り手を真直に伸《の》して、ううんと欠伸《のび》をするついでに、弓を攣《ひ》く真似をして見せる。女はホホホと笑う。
「どうもこれが癖で、……」
「弓が御好《おすき》と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。
「若いうちは七分五厘まで引きました。押《お》しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩《たた》いて見せる。舳《へさき》では戦争談が酣《たけなわ》である。
舟はようやく町らしいなかへ這入《はい》る。腰障子に御肴《おんさかな》と書いた居酒屋が見える。古風《こふう》な縄暖簾《なわのれん》が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥《つばくろ》がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨《
前へ
次へ
全217ページ中211ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング