見るのと同じ訳になる。間《あいだ》三尺も隔《へだ》てていれば落ちついて見られる。あぶな気《げ》なしに見られる。言《ことば》を換《か》えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙《あ》げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識《かんしき》する事が出来る。
 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂《もた》れ懸《かか》っていたと思ったが、いつのまにか、崩《くず》れ出《だ》して、四方《しほう》はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾《と》くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃《こまや》かでほとんど霧を欺《あざむ》くくらいだから、隔《へだ》たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背《せ》が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾《すそ》と見える。深く罩《こ》める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ち
前へ 次へ
全217ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング