「い加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」
「よござんすとも。御都合次第で、御足《おた》しなすっても構いません」
「女は男とならんで舷《ふなばた》に倚《よ》る。二人の隔《へだた》りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼《でんろう》は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」
「ドージとは何です」
「何だって構やしません。昔《むか》しヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」
「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」
「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」
「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」
「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵《たんてい》になってしまうです」
「ホホホホじゃ聴きますまい」
「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないか
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