うなものだ。能にも人情はある。七騎落《しちきおち》でも、墨田川《すみだがわ》でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情《じょう》三|分芸《ぶげい》七分で見せるわざだ。我らが能から享《う》けるありがた味は下界の人情をよくそのまま[#「そのまま」に傍点]に写す手際《てぎわ》から出てくるのではない。そのまま[#「そのまま」に傍点]の上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長《ゆうちょう》な振舞《ふるまい》をするからである。
しばらくこの旅中《りょちゅう》に起る出来事と、旅中に出逢《であ》う人間を能の仕組《しくみ》と能役者の所作《しょさ》に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄《す》てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕《こ》ぎつけたいものだ。南山《なんざん》や幽篁《ゆうこう》とは性《たち》の違ったものに相違ないし、また雲雀《ひばり》や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視《み》てみたい。芭蕉《ばしょう》と云う男は枕元《まくらもと》へ馬が尿《いばり》するのをさ
前へ
次へ
全217ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング