オょう》さんに叱《しか》られたろう」
「いんにゃ、褒《ほ》められた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
「道理《どうれ》で頭に瘤《こぶ》が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃《す》るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏《こ》ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸《ぼこでこ》だが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前《おまえ》だろ」
「箆棒《べらぼう》め、腕が鈍いって……」
「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐《としがい》もない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
「全体《ぜんてえ》坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托《くったく》がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅《くちはば》ってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し頭《どたま》を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴《き》かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一人前《いちにんめえ》じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その後《のち》発憤して、陸前《りくぜん》の大梅寺《だいばいじ》へ行って、修業三昧《しゅぎょうざんまい》じゃ。今に智識《ちしき》になられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前《おめえ》なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印《きじるし》はやっぱり和尚《おしょう》さんの所へ行くかい」
「狂印《きじるし》と云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂《みそすり》だ。行くのか、行かねえのか」
「狂印《きじるし》は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷《ごきとう》でもあればかりゃ、癒《なお》るめえ。全く先《せん》の旦那が祟《たた》ってる
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